先週木曜日から学術振興会論博コースのセレステさんの指導のためにフィリピンマニラに行ってきました。前日まで、学内で会議や年度末の書類の整理などで仕事が詰まっていましたが、全てを振り切って出発しました。セレステさんが空港まで迎えに来てくれ、ホテルにチェックイン後、セントルークス病院へ研究指導に行きました。彼女は来年度が最終年度になるため、5月には論文を書き上げないといけません。フィリピンにおけるヘリコバクターピロリ菌の特徴を解析しています。ほぼデーターは出ているのですが、データー整理が不十分だったため、至急整理するものを指示しました。夕食を研究室のスタッフたちと共に取り、ホテルに戻りました。2泊3日の予定でしたので、査読しないといけない英文論文1つと締め切りが1カ月過ぎた依頼原稿を宿題として持ってきており、仕事を少し進めてから就寝しました。2日目は朝から研究室へ出向き、セレステさんの論文作成にかかりました。インターネットで関係論文のレビューに1日費やしました。日本ではこのような時間を持つことはなかなかできません。何のじゃまも入らず、会議や面談の心配も無く、こんなに集中して関連論文に目を向けることができたのは久しぶりで、とてもフレッシュな感じがしました。この日はセントルークス病院研究所長のナティビダット先生とセレステさんとで夕食を取り、今回の滞在の目的を終えることが出来ました。
土曜日の朝、さあ帰国をと空港に行きましたが、ここからが大変でした。充実感で気を良くしていたのが一変しました。関空への飛行機はタイ航空で、タイのバンコクからマニラ経由関空行きの便でした。定時にマニラに到着し、さあ搭乗をと待っていると、出発時間が延期されました。1時間ほどして、さらにアナウンスがあり、エンジントラブルでもう少し時間がかかるとのこと、待つこと5時間、最終的にキャンセルになってしまいました。航空会社の対応も不十分でしたが、日本人の乗客も多く、説明が理解出来ず一時騒然としました。結局、航空会社が手配したホテルへバスで移動することになりました。ホテルに着いたのが夜の10時過ぎで、配給された夕食を取り、翌日朝10時半ホテル出発という指示だったので、8時にモーニングコールを設定して就寝しました。今朝、電話のベルで目を覚ましましたが、時計を見ると5時です。何かの間違いだと思い、ベットに横になっていたところ再度電話が入り、5時半に空港に向けてホテルを出発すると言うではないですか、驚いて出発準備をしてロビーに行くと大勢が既に集まっていました。言われるままにバスに乗り、空港に戻り、何とか出発ゲートに到着しました。出発が早くなったのかと安心したのも束の間、今度は朝食を空港内で取るようにチケットを渡され、行ってみると長蛇の列で、慌てても仕方がないと待ち、出されたおいしくない朝食を少しだけ口にしました。その後、別のゲートに案内され、待つこと1時間、一向に飛行機が現れないので心配していると、出発は午後2時過ぎになるとのアナウンスがありました。何のために朝5時に起こされたのか怒りを通り過ぎてばかばかしくなりました。ラウンジを用意するといわれ案内されましたが、当然、一挙に大勢を収容するほどのスペースが無く、ソファーや椅子も限りがあり、とても全員がゆっくりすることが出来ませんでした。何とかスペースを確保し、持ってきていた宿題を進めたりして時間を過ごし、ようやく2時に出発するとのアナウンスが入りゲートに戻りました。最終的に2時半過ぎに機内に入ることになりました。
関空に無事ついたのが夜の8時前でした。そのまま大学に戻り、明日までにしないといけない大学院の書類を仕上げました。また、明日はG-COEの第一回の国際シンポジウムが予定され、オーストラリアメルボルンから友人のGiraud教授が来日するのが今日であり、挨拶と明日の予定を話そうとして、ホテルに電話を入れました。すると、今日から2泊で予約していたはずが、明日1泊分しか入っていないのが判明し、至急今日の分を手配しました。チェックイン前で良かったです。その後、本人とも電話で話をすることが出来、無事神戸に到着し、チェックインを済ませたようでした。綱渡りの連続です。この週末は本当に疲れました。