今日の新聞紙上に、「大学院修士論文不要に:来年度から筆記試験などで審査」という記事を目にしました。博士号取得を目指す大学院生が主な対象で、論文の代わりに専攻だけでなく関連分野も含めた幅広い知識を問う筆記試験などを課すそうだ。従来の修士課程は論文作成のため早い段階から特定の研究室に所属して研究テーマを絞ることが多く、博士課程を終えても産業界から「専門分野には詳しいが応用が利かず、使いにくい」と評価されているのを改善するのが意図だそうだ。将来的に5年一貫教育で博士号の取得を目指すコースを普及させると記されていました。ある程度理解できるのですが、改善するポイントがずれているように思えます。応用力を鍛えるのは幼少期に重点が置かれるべきでしょう。基本的な資質の無い者に、修士の段階で専門性を後にして関連分野の教育はおかしいと思います。大学のレベルダウンが指摘されている中、さらに、修士、大学院生までそれに準じて、レベルが落ちて行くことを認めているようなものです。どんどん一人前になる時期が遅れてきています。大学時代に済ませるはずの基礎的知識を、どうして博士課程まで持ち込むのでしょうか。専門的研究はもちろん基礎的あるいは関連分野の知識が必要であり、専門研究の過程で、欠けているものについては、自分自身が必至に勉強するものです。これまでノーベル賞を受賞し、世の中に大きな貢献をされた方々はある意味専門馬鹿だったのではないでしょうか?大学における勉学が就職活動で疎かになり、本来十分に社会の即戦力になるべきひとたちが、入社後の再教育が必要となっています。いつまで悪循環を続けるのでしょうか?そのうちに世界から全く相手にされなくなってしまうのではないでしょうか?同じ新聞に炭素繊維開発で世界的な貢献をされた前田東レ名誉会長が、「科学技術創造立国の実現なくして、少資源国家である日本が貿易立国として発展することはできない」と書いていました。そのための人材育成は最重要課題です。